2014年9月3日水曜日

法の下の平等と国民主権

以下では分かり易さ重視するために憲法学的な厳密さにとらわれず、感覚な話、方向性の話を重視して、法の下の平等を考えて見たいと思う。


法の下の平等と国民主権の対立

法の下の平等の条文は以下のようになっている。

第14条1項
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

この文言を単純に法律に当てはめると、例えば国立の女子大学は、性別による経済的関係の差別となり、違憲となるのだろうか。しかし仮に、女性の高等教育を充実すべきだという国民世論が盛り上がり、それを掲げた政党が政権を獲得した場合、その政策は尊重されるべきではないだろうか。

端的に言って、政策にはある人達を優遇したり冷遇したりする側面がある。例えば、累進課税や福祉政策は、低所得者には有利になるが高所得者には不利になる。農業関係の補助金は、農家には有利となるが他の職業に就業する人達には何の恩恵もない。これらは法の下の平等に反するとして、違憲とすべきだろうか。

しかしこれらを違憲としてしまうと、選挙による政策選択が無意味になる。つまり、国民主権の存在意義が無くなってしまう。他方、国民主権を重視すべきだからといって、国会で制定されたあらゆる法律を合憲と認めれば、法の下の平等が意味をなさなくなる。

要するに、法の下の平等と国民主権の間には対立する側面が存在する(その原因は、何であれ政策には不平等の側面が伴うため)。そして、判例や学説はどのように両者を調和させるかに注力してきたように思われる。

※法の下の平等には、法適用の平等と法内容の平等という二つの議論があるが、以下では法内容の平等に絞って議論していく。


積極目的規制

そこで、判例は政策を次のように三分類することを考えたようである(以下、筆者が憲法学の教科書を解釈した結果の私見を多分に含む)。一つ目の分類は積極目的規制である。

まず、一般論として多くの人が共通して注目するものは何だろうか。それはお金である。国会で最も注目されるのは予算策定であり、国会議員たちはバックにする業界に応じて種々の族議員に分かれていることを見ても、それは明らかだ。

所で、ある法律が違憲が否かを判断するのは裁判官たちだが、彼らは選挙によって選ばれた訳ではない。そのような人達が、経済的な利害調整の政策を違憲とするのはハードルが高い。なぜなら、次のような批判が生じるからである。「選挙で選ばれた訳ではない人達(裁判官)が、選挙によって国民の意思を体現している人達(国会議員)の意思決定(政策)を否定できるのは、何故か」

そこで判例は、経済的な利害調整を行う法律を積極目的規制と分類し、この類型については立法府の裁量を広く認めることにした。この裁量は非常に広く、よほどの非合理、不平等でない限り、ほとんど何でも認めると考えて良いようである。例えば、国立の女子大を数校作った所で違憲にはならない。違憲となりうるのは、国立大学の定員の6割を女性に限るとした場合だろう。男女の人口比はほぼ1:1なので、ここまでの不平等ならば違憲となりうる。逆に言えば、これほどの不平等、非合理でもない限り、積極目的規制の違憲審査において憲法14条は参照されないと考えて良い。そして国会議員というのもある程度は合理的なので、前述の例のような非常識な法律は過去に成立したことはなく、違憲とした判例も存在しない(それにしても、前述のような極端に不平等な法律が成立するほど国会議員が非合理になった場合、社会全体が存続できないほど非合理になっているだろうから、裁判官たちも違憲立法審査どころではない状況に追い込まれていることだろう。つまり、この類型での違憲判決とは将来においても多分現れない)。


精神的自由とそれに関連する問題(参政権など)

選挙によって信託を受けた人達(国会議員)は、何でも多数決で決めていいのだろうか。それを認めると、国は崩壊するだろう。そこで憲法学者たちは二つ目の類型を考えた。

その二つ目の分類は、精神的自由とそれに関連する問題(参政権など)、である。これらは国政を適切に運営していくための前提となる法律であり、憲法の条文が厳格に適用される。厳格な適用とは要するに、違憲立法審査において、条文の文言を可能な限りそのまま適用して判断することを意味する。

この類型が条文の厳格適用になっている理由はおそらく二つある。一つ目の理由は、「適切な国政の運営の前提(具体的には言論の自由と参政権)を守る」という価値判断に真っ正面から反対する国民はおそらく存在しない、という判事たちの推定が挙げられる。そして実際、これらの価値判断に反対することは難しいように思われる。二つ目の理由、これらの前提を守ることが経済的利害対立を生まないことが挙げられる。他の誰かに対する補助金は嫉妬を生むが、他の誰かに対する言論の自由や参政権の保障には、このような嫉妬を生まない。

最近、違憲判決が出た一票の格差の問題も、この類型だと思われる。


消極目的規制

三つ目の類型が、前述の二つの類型のいずれにも分類されない法律である(教科書的には違うけれど、このように考えた方が分かりやすいと筆者は思う)。これを消極目的規制とする。代表例は、医師法や弁護士法などの業法である。

条文の適用の程度は、積極目的規制と、精神的自由とそれに関連する問題の、中間だと言われている。つまり、条文の文言をそのまま適用するわけではないが、積極目的規制のように立法府の決定をほとんど何でも認めるわけではない。言い換えると、この類型の法律が合憲となるためには、積極目的規制の理由付けよりは合理性の高い説明が求められる、ということのようである(この辺は程度の問題のようで、具体的な適用基準はケースバイケースであると思われる)。

条文適用の程度が中間に位置するのも、国民の利害対立の程度を反映していると感じられる。ある業法に影響を受ける人数は絶対数(数万人から数百万人程度)としては多いが、相対的には小さい(全国民の数パーセント以下)。そこで、中間的な条文適用基準を採用したと思われる。


朝鮮学校の無償化対象外は合憲

このような考察をしたのは、朝鮮学校の無償化は合憲か、という疑問を持ったからである。そして以上の議論より、高校無償化は積極目的規制なので立法府の裁量が広く認められ、朝鮮学校の無償化対象外は合憲ということになる(もちろん、朝鮮学校を無償化対象に含めても合憲である)。